ML-POWDER 2005年スキー活動記録
HOMEへ

1.初滑り 田代スキー場 *田島
田島です。
2004/12/19(日) 初滑りに行って来たので簡単にご報告。

かぐらに行くつもりで出発したのですが、田代の駐車場に入ってしまったうえ田代−かぐらの連絡ができず(雪が無くリフト動かず)、田代エリアだけの滑走となりました。

ですが、滑走可能な箇所は広く、長く、そしてリフトも空いており、
雪も天然雪で、今年のこの状況にしては、かなり気持ちよく滑ってきました。

対して丸沼は、地獄のような混雑のようです。
12/18(土)に丸沼に行った友人曰く、1日でリフトは4回しか乗れなかった(1回につき待ち時間は30分以上だった)そうです。

以上、ご報告まで
↑このページの先頭へ

2.玉原スキー場  佐藤、縣、勝又、*師橋(恒&翔)
日時:2004年12月26日
今晩は、師橋です。 結局、佐藤、縣、勝又、師橋(恒&翔)で玉原スキー場でした。
結論として、きっと二度と行かないスキー場だろな!といったところでしょうか。
昼でやめて帰ってきてしまった。
ビーコン訓練を忘れた!! ・・とここまで書いて、インドネシアで地震があり、各地で津波被害がでているとの
ニュース。モルジブでは行方不明も、とのこと長谷部くんたち大丈夫かな・・・。バ ンコクもどうかしら。心配です。 師橋でした。
↑このページの先頭へ
3.モルジブ津波被災 *長谷部弘毅・佳織
2004/12/20〜30

はせべです。
あけましておめでとうございます。

死ぬかと思いましたが、30日に帰国しました。
俺も奥さんも怪我はありません。
皆さんに心配かけて申し訳ありません。
通信手段を失っていて、なかなか連絡とれず、でした。

今回の災害がこんなに大きな災害だったとは、帰国が決まるまで知りませんでした。
現地にいる間は情報がなかなか得られなかった。

津波が来たとき、島は水没し、建物は破壊され、人は流され、海全体が濁流と化していた。
息子がいなくなったと泣き叫ぶ母親が居たり、一時はパニック映画そのものの世界でした。助かったのはホントに運がよかった。
津波の到着が1時間ずれていたり、水位があと1m高かったらやばかった。

しかし荷物は全て津波で流されてしまった。
カメラを除いて、財布もパスポートも何から何まで。泊まっていたコテージ丸ごと津波で消えてしまった。
(縣さんにお借りした偏光フィルタは残りました)

それからは避難民生活。
電気・水道・通信はもちろん、ほとんど全ての文明的な生活は奪われ、初めて被災者の気持ちがわかった。
そして、いつ水の奪い合いになるかという想像をしながら瓦礫の島で焚き火生活をし、通りがかったパキスタン海軍に拾われて首都マーレに移動。
それから日本への飛行機を首都で待って、半袖・短パン・サンダルのまま帰国しました。(食欲がなくなっていたので、燃費の悪さは影響が少なかった)

ちなみに、NHKの報道で俺と奥さんが成田でインタビューを受けている映像が流れてました。
以前の生活水準に回復したら、改めて連絡します。
ではでは。
↑このページの先頭へ
4.2004・05年越し森吉山  縣X2、勝又、倉本、*田宮

【報告】2004・05年越し森吉山
田宮です。今年もおもうようには滑れなかった。でも楽しかった年越しでした。
日程 2004年12月29(夜)〜2005年1月3日(朝)
   登山は2004年12月31日〜2005年1月2日

メンバー 縣X2、勝又、倉本、田宮

活動 31日阿仁スキー場から非難小屋、森吉山往復 
    曇り後雪
    豚しゃぶ、おすそ分け(きりたんぽ鍋、年越し蕎麦)
   1日非難小屋から森吉山(南東面滑降、少し)、森吉神社初詣
    曇り後雪
    キム・パク・豚
   2日非難小屋から阿仁スキー場経由で下山
    下山後空身でゴンドラ一本分滑降(最高のパウダー)
    雪、濃いガス

 見ての通り、ゲレンデで最高のパウダーを堪能したけど、山はほとんど 滑れてない。天気がだめだったし、雪が少なく悪かった。その分、山で 本当に美味しいものを食べた。勝又さん、準備ごくろさまでした。
大晦日のおすそ分けは、秋田市から来た四人組みのもの。はるばる東京か ら若いのが来てくれてうれしい・・・と、よっぱらったおじさんが大盤振る 舞いでした。一部は本当は若くないんだけど。

 下山後、倉本君のヨンさんスマイルでタクシー運ちゃんから教わった鷹巣 町の「肉の松尾」で第二ステージの作戦会議。モチが上がらないので、スキ ーはやめて、日程を繰り上げタイマグラにいく事にした。
 タイマグラでは、夜が更けるまで友人、井上の自然談義(彼は語るのが 大好きな人なんです)。堰堤・林道建設の非を多角的視点で聞いたのは、 僕も初めてだった。

 翌日、雑煮と餅をつついていたら、勝又、田宮が見た映画「タイマグラばあ ちゃん」の監督、澄川さんが来てくれて、じきじきに映画の舞台であるばあ ちゃんの家を案内してもらう。映画で表現されていないばあちゃんの人柄、時 代背景などが聞け、すごくラッキーでした。この映画、3月から中野で再び上 映されるそうなので、みなさんご覧下さい。
−以上−

縣です。森吉チームお疲れ様でした。
森吉小屋、故障か使い方が悪かったのか石油ストーブ点かなかったのが残念。(森吉避難小屋は使えた模様)地元の人は灯油を持ち上げてくるようでした。
でも薪ストーブのタイマグラはやはりよかったですね。
あと3日目の移動高が張り出したとき、なんで晴れないでガスったのか不思議でした。南高北低の配置でくずれたのか、、?とにかくひどいガスでかなり怖い思いをしました。
白神スキーのときも帰路ガスで全く見えなくなったので、今回も一応行き分岐点にはデポ旗を打っといたのだが、帰りに最後のところで間違って少し沢に降りてしまった。デポ旗も多目の方がよいですね。あとGPSほしー。携帯のGPSはいまいち使えない、、。

レガシー号&会計食料勝又ごくろうさま
>東北ツアーお疲れさまでした。あまり条件が良くない中、山にも二泊でき、すこーしだけでも滑ることができ、おまけにタイマグラにまでお邪魔することができて、大満足なお正月でした。老齢レガピーにはちょっとはらはらさせられて、皆様にはご迷惑をおかけしました。これで晴れてお役ごめん。
↑このページの先頭へ
5.平標山  師橋、縣(直)、*田宮
【報告】平標山
田宮です。
行きなれた平標山に出かけてみました。正直まだまだ藪藪です。
日時:2005年1月7日9:00〜14:30
メンバー:師橋、縣(直)、田宮
コース:元橋からヤカイ沢右岸の尾根1500m付近往復

去年、1月18日に出かけた時より雪は少ない。藪を避けて登り、降りた。雪は一度に降った底なし。急斜面ではそれでもふわふわと落ちるような感覚、ようやくクライミングの重力に抗する動きと逆の動きを体験し、普通の人なら何?って条件でも僕らは大満足だった。

おまけ、今年の目標は「忘れ物をしない」と宣言した縣(直)に負けた。忘れ物第一号は、僕でした。下山後、元橋にBDのストックを置き忘れてしまった。今頃、除雪車に踏まれているか、雪に埋まっているだろう・・・。4年も使い続けたのにあーあ。縣君に「楽しくて、興奮したからですよ」と慰められた。あたっているだけに、複雑な気持ち。
僕の今年の目標は「スキーをやめるぐらいの何かを見つける!」と話したら、二名は相手にしてくれなかった。
↑このページの先頭へ
6.前武尊(荒砥沢) 師橋、縣(直)、*田宮
【報告】前武尊(荒砥沢)
田宮です。
冬型が決まり、上越は雪が少ないのに降り続いている。翌日のネタがなく、スキー場での滑りに逃げられる武尊に移動した。
日時:2005年1月8日9:00〜13:30
メンバー:師橋、縣(直)、田宮
コース:オグナスキー場から前武尊、荒砥沢1650mまで滑降
   トラバースでスキー場の同等標高まで戻る

去年の西俣沢のあの滑降が忘れられない。今年は山中泊で、川場谷を含む各沢を継続滑降したい。これを「TOURde武尊」と勝手に呼んでみた。今日はその下見。
林道までのつもりで荒砥沢につっこんだが、まだ沢がうまっておらず、1650m付近で滑降をやめ、ゲレンデに戻る。
でも、滑りは最高のパウダーで満足。
下山後、家の串東尾根の末端(橋のたもと)を見てきてきた。まだ早いけど、大分と雪がついてる。

「TOURde武尊」スキー場が乱立する武尊山一帯を、極力スキー場を使わず連続登下降する。いい斜面があるのになかなかふみこめない川場谷を滑る。家の串東尾根の上部にBC設定?川場スキー場に下るか、うまいこと前武尊方向に戻る。2月末か3月上旬かな?
↑このページの先頭へ
7.信濃平スキー場跡  勝又 *倉本 ロックアンドブッシュ
【報告】信濃平スキー場跡
1月9日(日) 9:00〜15:00頃
メンバー 勝又 倉本 ロックアンドブッシュ
コース 旧信濃平スキー場 顔戸集落より旧スキー場トップ780米地点
いったん標高550米地点まで滑り込み、登り返し730米地点より滑降
天気 雪 視界 50米ほどか? 雪質 軽いパウダー

勝又さんの知り合いの長野の山岳会ロックアンドブッシュの方々とご一緒させていただく。ハンドテストではなく、コンプレッションテストを行う。スノーソーが必要だが、客観性が非常に高く有効であると思われた。パーティーに一本は少し長めのスノーソーが必携。
雪の結合の状況は安定しており、滑降できた。
元スキー場だけあって無木立のオープンバーンが広がっており非常に気持ちが良く滑れた。 (それだけに雪崩れそうで怖い)シーズン初めから良好なパウダーを満喫。パウダーを滑れるとは信じられないが、一応裏付けのある行動だったと思う。非常に勉強になった。案ずるほど時間もかからず、非常にお勧めの判定方法。次から是非取り入れたい。
その夜は、ロックアンドブッシュの三井さんのお宅にご厄介になる。料理もおいしかった。
↑このページの先頭へ
8.妙高三田原  勝又、*倉本、ロックアンドブッシュ
倉本です
【報告】妙高三田原
日時 2005年1月10日 9:30〜16:00
メンバー 勝又 倉本 ロックアンドブッシュ
天気 晴れ後曇り 雪 視界比較的良好 雪質パウダー
コース 杉の原スキー場トップ 1855米地点から外輪山稜線 池の峰 林道 スキー場 

天気今ひとつだったが、とりあえず妙高まで行く。すると晴天。とにかくいけるところまで行くつもりでスタート。最も怖い初めの沢のトラバースも沢の中で二回目のコンプレッションテスト(半数のメンバーはレスキュー用に離れたところで待機)を行い、弱層を調査。
稜線につく頃には天気は悪化してきており強風で凍えながら滑降に移った。気温は-10度ほどで雪質は最高だった。ロックアンドブッシュの面々はT1に極太の板と言う組み合わせで、非常に驚いた。僕が去年買ったシーズピステは僕の中で割に太い板だと思っていたのだが、細板に見えた。(でも前に使ってたシールを流用してるのでシールを張ったり剥がしたりするときは、前よりは太いよなーっと思うのであった)
途中から樹林が濃くなり、ブッシュも多少出ていて滑りづらく、僕は転倒しまくった。
しかし最高に楽しかった。

無線はやはりあった方が良いと実感。倉本は持っていないので今度免許を取って購入しようと思います。書き忘れましたが、信濃平ではフリートレックで来た人が、一人で埋まって進めず大変そうでした。
そうそうコンパスの液が白濁してしまいました。なんででしょう?どなたか原因ご存知ですか?

ブンリンでクトーを予約しました。郵送で送ってもらう予定です。23日にTOEICを受ける予定なので、しばらく遊びに行かないです。
あーついつい遊んじまった・・・ でも楽しかったです。勝又さんありがとうございました。
↑このページの先頭へ
9.【報告】大渚山手前 1365mP まで  勝又、*田宮
田宮です。
二週間前にストックを忘れてきた、今週は入山前にアスファルト道で転んだら、なんとストックが折れた。まだ予備が手元にあるけど、この調子だとストックが底を付いてしまう。
てなわけで、パウダーの大渚山に片ストックで登るはめになりました。
日時:2005年1月22日8:30〜15:30
天気:下部は曇りのち晴れ、上部は雪
場所:小谷村大渚山(手前1365mPまで)
参加者:勝又、田宮

国道と熱湯温泉の分岐のスノーシェード下に車をデポし、国道を中谷川脇まで歩き入山する。
交代でラッセルして進む。僕は先頭を行く時、勝又のライフリンクを借りる。雪質、コンディションは上々なのだが、壊れてないストックでも全部埋まる深雪なので、時間がかかる。
1100mまで標高差300mを登るのに二時間半掛かり、1365mPについたの一時半過ぎだった。山頂までの残る200mの急登は一時間では無理だろうから、諦め1365mPを今日のゴールとする。
登ってきた尾根はうねうねで藪もあるが、そこそこ滑りが楽しめた。
1100mの台地に降りてからは、入山点には戻らず、急斜面を熱湯沢まで滑り、熱湯温泉に登り返す事にした。この斜面が禁断の果実?
パウダーだし、下部にある崖を避けて沢に唯一掛かる橋に出なければならない。ここでの滑り、スリリングなルートファインディングとも最高で、片手ストックである事を忘れるぐらい楽しめた。
縣君、熱湯沢は温泉の沢です、長野の人は「長野のカムイワッカ」と呼んでいる人もいるよ。かなり行き難い場所にあるので、雪が安定した残雪期が狙いめかな?
地形図の温泉マークの箇所で温泉が湧いているのを確認したし、沢にも温水が流れてたよ。
下山後、奥西山へのルート観察にでかけ、何年ぶりだろう棒納温泉に行きました。
↑このページの先頭へ
10.入笠山  *師橋、他5名(都職山の会)
今晩は、師橋です。
都職山の会と八ヶ岳小屋泊、入笠山へ行ってきました。
ピーカンで360度の展望が楽しめた。以前滑った夏道西側の牧場を滑り、向かいのピークに上り返しもう1本。

日時 : 2005年1月22日 11:00−16:00
天気 : 快晴
場所 : 南アルプス入笠山&となりのピーク
参加者 : 師橋、他5名(都職山の会)

翌日は天気も下り坂、皆はゲレンデへ。
都職山の会では5月にヨーロッパのオートルートへ行く計画があり、つき1回のトレーニング中とのこと。2月は11-12日で鍋倉山、鍋倉小屋泊。誰か行きませんか?

今週末、来週末とも小生は出張でどこもいけません。佐藤君、板靴ストックが拙宅に置いてあります。もしどこか行くならピックアップの算段を・・・。
↑このページの先頭へ
11.佐渡山  *縣直年、勝又、長谷部
縣です
南岸低気圧通過のせいか、風のないあたたかな春のような気候だった。
やぶも埋まり、ようやくシーズンはじまり。
日時:2005年1月16日(日)
メンバー:縣直年、勝又、長谷部
山:佐渡山
朝大橋に行くと車がいっぱい停まっている。黒姫はあきらめてボードが行けない佐渡山にする。
しばらくして堀米さん、三浦さん、松崎さんなどぞろぞろ集まってきた。
日帰りで高妻に突き上げる尾根に行くという。(昨日は五地蔵の沢を上部からつなげて下ったとのこと。今回は結局北東斜面を下だったらしい)
後ろから追い抜かれついついペースに巻き込まれて早足になってしまった。かなり冷え込んで寒かったのに既に暑い。
にぎやか堀米組から佐渡山取り付きでようやく別れて休憩。ふと冷静になる。はー疲れた。
今回はいつもの沢を渡ってのぼるコースでなく、手前の尾根にとりつく。こちらのほうが細尾根だが急登がないので登り易い。
そのままラッセル跡をたどっていき、久しぶりの山頂へ。
薄いくもがかかっているが五地蔵、高妻、焼山、妙高、全て見渡せて気分よい。
林間コースだから冬型の悪天時にしかこないけど、佐渡山は景色がよくていい山だ。
ふと北面を見ると雪庇の下によさそうな尾根の斜面があったので滑ることにする。
一応ハンドテストをして120センチの深さに弱層あり。顕著な弱層があるけど触るだけで崩れるほどひどくないとの判断で続行。どのくらいの弱層で滑降中止にすべきなのかわからない。なだれた斜面があったら掘ってみたい。
 滑り出したら楽しくて忘れてしまった。いいパウダー。尾根沿いに東の谷底にむかって急斜面を滑り込む。谷もよさげだ。
鞍部に30分ほど登り返して再び山頂へ。12時30分。
日が照りだして雪が重く硬くなる。陽射しで明るい南面をすべり、少し右岸、尾根にトラバースして日陰に残ったパウダーを滑る。
興奮して長い時間がたったと錯覚してしまった。、もう2時半と告げて下山モードになってしまった。(実際は12時半)
そのまま川を跨いでトラバース気味に飛ばし、途中から川沿いにあるトレースを借りてそのまま下山。
駐車場についたらまだ1時半。私のせいで下山が早すぎて不満が出たが、富岡で乾杯できたから良かった。
↑このページの先頭へ
12.蒲原山ではなくて、横前倉山  *縣、*田宮
田宮です。
堀君が2003年のBSで報告してる山で、展望が素晴らしいとのコメントが気になっていたので、移動高が張り出した土曜に東面を登下降してみた。

日時:2005年1月29日8:00〜17:30
天候:快晴
参加者:縣、田宮
ルート:北小谷8:00→紙すき山牧場→蒲原山手前1600m13:30→東面尾根
   前沢の左俣?→(一部上登り返し)→紙すき山牧場→北小谷17:30

登路は地形が複雑で小さなUP・DOWNを繰り返す。天気が良く、背後に聳える頚城の山々の展望が抜群だった。雨飾山、大渚山、天狗原山、北には初めてみる駒ケ岳などが連らなっている。
ただ、天気がよくなった分、雪が大変な状態。登路の大部分は滑降不可能なサンクラスト。時間がたつにつれ二人ともシールに雪がつき始め、どうにも進まなくなる。ほぼ山頂まで到着した13:30、ラッセル筋が完全パンプ状態だったので、ここから滑る事にした。
少しでも北に向いてる斜面は雪が温存されている。またこちら方向は極上のブナ林(鍋倉みたい)が続いている。ここを逃すのはもったいない。てなわけで、登路を離れブナの感動的な斜面を滑る。ここは本当に良かった。この
後、一転して大苦戦に。
沢に降りると沢が埋まってなく、ひやひやのスノー・ブリッジで対岸に渡る。
続いて進まないトラバース。現在地がわからなくなってしまった。前方に林道の切り開きを見つけ、なんとかこの難所を乗り越す。最悪ビバークかな?と思っていたが・・・・。林道に出てからは、ひたすら林道を滑っておりた。なんとかヘッテンのお世話にんらずに済んだ。長い一日だった。

***
縣です 田宮さん、
やっぱり先日登ったのは蒲原山ではなくて、横前倉山1907ですね。下山時に車で沢を渡ったのが気になって調べてみましたが、土沢でした。
牧場らしくない広場、上部の複雑なアップダウン、橋のある林道(南俣沢) うーんアプローチ間違えてしまったようです、、、。どおりでラッセル6時間半もかかったわけだ、、。

大雪が降ったので北部は厳しそうですね。内陸のホタカ、湯の丸、草津方面がよいかも。

モロハシさん、ゆっくり休んで地道にリハビリしてください。
田宮です。
前の土曜日の報告は間違いでした。ああ、なさけない。
地図は周辺を含め準備する、高度計は合わせる(今回は二人とも合わせてないので、参考にならなかった)など基本をきちんとしないとだめですね。
何かあったらでは、すまされない。反省してます。
ミスをだまってるのも嫌だし、棚ボタで面白いルートを見つけた?ので書き残しておきます。
職場で長谷部に、電話で勝又に話したんですが、今回の山行は、現場で終始ルートに悩まされました。下山後の食実中にも、縣君の指摘したルートをトレースしていたのではと思い、なんども地図を見て話したが、確証がとれなかった。
WEBの2.5万図でなるほど納得。田宮保有の地図にない林道が登った尾根に書かれたいた。この林道から歩き始めたなら、土曜の行動が全てがクリアになる。違う地形図を頼りに一生懸命ルート探ししてた。合うはずがない。

予定のルート
地形図:越後平岩と雨飾山の境目の南端、当日持参
大平(集落の名称)から真東へ標高1650mの蒲原山へ抜ける
標高1000m付近に牧場がある
降って行き詰まったと思っていたのは前沢の右俣

実際のルート
地形図:白馬岳、雨中の境目の北端、当日持参せず車馬(集落の名称)から真東に横倉前山1900mへ抜ける
標高1000m付近に牧場のような平坦地がある(あった)
降って行き詰まったのは土沢上部の南俣沢
標高1850m程度まで登っていた→時間が掛かったわけだ

−以上−
↑このページの先頭へ
13.乗鞍岳(位ケ原まで)  縣、*田宮、
またまた田宮です。
前日の蒲原山で正直満腹状態だったので、日曜はお気軽に滑れるコースをと言う事にして、ラッセル筋の鍛錬も兼ねて乗鞍岳に出かけた。

日時:2005年1月30日8:30〜11:30
天候:快晴
参加者:縣、田宮
ルート:スキー場から切り開き終了点まで往復。

朝一番乗りで、カモシカゲレンデを発つ。昨日の今日なので、ラッセルの楽な事。誰にも抜かれずに上までついたので、極上パウダー斜面を食い散らかして下る。前日の苦戦の鬱憤を晴らす気持ちいい滑降でした。
下山後は、銀山荘、渡辺、文林を梯子して帰る。
乗鞍は信じられないぐらい、雪が少ない。切り開き内もちらほら藪が残っている。例年の12月末程度かな?
↑このページの先頭へ
14.本白根山  田宮、縣(直)、勝又、*長谷部
はせべです。
先週末の報告の第一弾です。
自分のシュプールのヘボさに気がついてしまいました。
あのヘボさを写真に残して置けばよかった。

日程: 2005年2月5日(土) 雪
場所: 本白根山
ルート: 静山スキー場跡〜山頂往復
メンバー: 田宮、縣(直)、勝又、長谷部

いつも通り、静山スキー場から登り始める。
一昨年より雪は少なめなのか、ヤブが成長したのか、笹やヤブの露出が目立った。
登る途中で、2箇所でコンプレッションテストを実施。
どちらも約50cmの深さで肘〜肩レベルの結合だった。

山頂からはまだ未滑降だったオープンバーンに滑り込む。
思っていたよりも雪が深い。
目標物が近くに無いのと、自分が巻き上げる雪で盲目状態。
天地の感覚がなくなり、酔いそうだった。
スキー場跡は笹を避けつつ、滑り降りた。

本白根山は南面の沢や、石津硫黄鉱山跡に続く尾根や沢がちょっと気になっている。
少雪&南面と、好条件を捉えるのは難しそうだが、いつか行ってみたい。
↑このページの先頭へ
15.五地蔵山  田宮、縣(直)、勝又、*長谷部
はせべです。
先週末の報告第二弾です。
土曜の地蔵の湯(草津)、日曜の五地蔵山...と、お地蔵さんに縁があった週末でした。
滑って転んで、よかったよかった。

>> 田宮さん

ビーコンの動作確認をもう一度お願いします。(電池交換?)

【日時】2005年2月6日(日) 晴
【場所】五地蔵山
【ルート】大橋(7:00)〜P1420〜山頂(11:00)〜五地蔵沢源頭
     〜山頂(12:30)〜北東面〜氷沢川〜P1678(14:30)
     〜大橋(15:30)
【メンバー】田宮、縣(直)、勝又、長谷部

戸隠周辺はこの2週間で0.5〜1m以上は雪が増えていた。
大橋の駐車場の雪壁の高さは2〜3m増。
出発直前、山にぶつかる風の音のあいだから「ズドン」と地鳴りが聞こえた。はて?

大橋を出発し、すぐに沢を渡り、P1420の尾根へ。
ラッセルは、深さこそ膝程度だが、板のトップがなかなか持ち上げられない雪質でペースが上げられない。
山頂に近づくにつれ、吹き付ける風は強くなり、斜面はクラストしてしまっていた。

山頂直下でコンプレッションテスト実施後(肘7回前後、深さ40cm?)、五地蔵沢に滑り込むが、ズブズブの
重たいパウダーに引っかかって、すぐに転んでしまう。
滝の手前まで行ったところから山頂に登り返し、今度は北東面に滑り込む。
標高が下がるにつれ、雪が滑れるパウダーに変化。
雪が深く、沈み込むと顔まで雪を浴びて気持ちいい。

氷沢川に降り立ち、滑降した五地蔵の斜面を見ながらP1678に登り返す。
P1678の東面には上々のパウダーが残っていて、最後まで滑降を楽しむことができた。
以上
↑このページの先頭へ
16.新潟・小千谷 雪おろしボランティア  *田宮、勝又
田宮です。勝又と小千谷で雪降ろしをしてきました。2/11-12勝又は今日も雪を降ろしをいるはずです。
越後は19年ぶりの豪雪。すごい雪の量でただただ驚くばかり。
この雪を見るだけでも、出かけた価値ありでした。

金曜日は、昨年一度一緒にキノコ取りに出かけた林さんが六日町に来ていたので、昼間、八海山スキー場で合流。外人さん15名(多くはタイ人)とのボランティアスキー?
勝又、田宮でまず、この活動を少し助ける。この週末はボランティアづくし。

夜に小千谷の現場に入る。縣君の後輩(角幡君、イオリーは知っている)が来てた。BE-PALで有名なシャルパ斉藤さんも参加してた。

土曜はそうぜい20名で雪おろし、小千谷の山間部、地震の被害が大きく非難勧告が出て、(主は仮設住宅生活)週末のみ入る事がゆるされる集落での作業。一日無心に雪を降ろす。
ただ・・・・・。
すでに屋根の雪が地面とつながっているので、降ろした雪を捨てる場所がない。 作業中も雪が降り続く。いい経験でした。

http://www.gassan.jp/genkimura/
↑このページの先頭へ

17.草津志賀  *倉本 椎谷
2月11日、12日は天候不順の為入山できず、草津静山の麓でテントを張って、簡単な練習をして遊びました。
日程 2005年2月13日(日)快晴
場所 渋峠
ルート 渋峠〜芳ヶ平 往復 
メンバー 倉本 椎谷

11日12日は草津スキー場のパトロールの無理解で入山できず。スキー場からアプローチは駄目だったと非常に反省しました。

13日は渋峠より芳ヶ平に降りる非常に大きい沢を滑った。無木立のオープンバーンで雪もパウダー。コンプレッションテストでは深さ33cm地点にて肩から三回で亀裂。その下10cmのところに氷の層あり。厚み1cmただし、氷の上下の結合は非常にしっかりしていた。
 比高で300mの大斜面は最高の気分。登り返し、さらにリフトの横を横手山まで登行。陽坂に車を停めていたので、スキー場をおりた。途中めんどくさくなり、いけないと思いつつコース外を滑走。パウダーが残っていて気分良く帰れた。
 風邪でへろへろだったので調べが甘くいろいろもったいないことをしてしまった。

テレマークに転向して硬い斜面を滑るのが本当にしんどくなった。その反面、パウダーでの滑走性の高さには本当に驚いている。そのうち硬い斜面も滑れるようになるのだろうか?
↑このページの先頭へ
18.クライミングコンペ in BANG KOK  *堀
【報告】クライミングコンペ in BANGKOK
・2004年12月25日
・場所:Lat Phrao BIC-C 「SPORTS WORLD」
   バンコク中心地から数キロ離れた郊外型大型スーパー
   (バンコク近郊はこの形式のスーパーが急増している。)
・コンペ
  タイのクライミング関係会社主催のコンペ
  出場したのはビギナークラス(男)。出場人数は12名。
  トップロープで4ルートを登り、到達点の合計で順位を決める。
  ルートグレードは5a〜5c?登った感じでは10前半から
  11前半といった感じだった。
・コンペ前
  コンペの数日前にトレーニングをしたかったが仕事が忙しく、
  壁を見るだけに終わった。
数日前の夜、壁の形状とホールドの感触を確かめるため、
コンペ会場を偵察。コンペ会場はデパートの中にあるクライ
ミングタワー。高さ20mほどの四角柱で角度の異なる4つの
  壁で構成されている。デパートの中、このタワー部分のみ吹
  き抜けになっていて、タワーの基部が1F、トップが3Fにあたる。
  コンペ当日は2F、3Fからギャラリーが観戦できる。
  ホールドのほとんどはタイ製。品質悪く、スリップしやすい。
・コンペ当日
  出場選手の紹介。もちろん、タイ語。何を言っているか、ほと
  んどわからない。「Haruhiko Hori 」自分が紹介されているらしい。
  どうにか聞き取れたのは「コンイープン(日本人)、サームシッ
  プシー(34)、、、年齢のことだろう。」一緒に来てもらったドラ
  イバーに後で聞いたら、「出場選手内で最年長と紹介されてい
  たよ」、、、あれっ、、、。
  次にルールの説明。これも当然タイ語。ルールは理解しておか
  なければならないので、あとで個別に英語で説明してもらう。
  とは言っても、こちらが英語ができる訳ではないので、非常に
  少ない英語+タイ語ボキャブラリーで確認しながら、どうにか
  ルールを理解することができた。
  ルートは4ルート。到達点の合計で順位を決める。
  トップロープ。両手スタート、両手ゴール。制限時間5分。
  フォールしたら、制限時間内でスタートから何度でも再トライする
  ことができる。登る前は他の人が登っているのを見てはならない。
・スタート
  登るのは12人中、7番目。コンペが始まり、タイ語のアナウンスで
  盛り上がっているようだが、何を言っているか全く分からない。
  そのためか、全く緊張しない。
  自分の番が回ってきた。ルールでは何度でもトライできることに
  なっているが、制限時間5分では1トライ(オンサイト)でなければ
  完登はできないだろう。約1分をインスペクションに使い、スタート。
  2ヶ所難しいムーブがあったが、完登。5.10b〜cくらいか?
  2ルート目。1ルートと同様、1分くらいインスペクション。
  小さなルーフ状部分に遠いホールドがあり、ランジかダイノが必要。
  他の完登者はダイノだったらしいが、ランジで解決。他には難しい
  ムーブはなく、オンサイトで完登。ここまで2本を完登できたのは
  自分を含めて3名。上位争いの面子が絞られた。
  3ルート目。雰囲気からは下部に難しいムーブがあるようで、
  自分の番までに完登者はいない模様。登ってみると、確かに
  難しく、フォール。4回トライしたが、ムーブが解決できないまま
  力尽き、完登ならず。
  4ルート目は気持ちを入れ替え、完登。上位3名全員が完登し、
  結局、3ルート目の最高到達点で上位3名の順位が決まった。
・表彰式
  3位、堀(日本)、2位?(イギリス人だったか?)、1位(タイ人)
  上位3名が接戦する中、タイ人がめでたく、1位ということで、
  大会自体はかなり盛り上がった模様。
  賞金(賞品だった)はタイのアウトドアメーカーの商品券。
  1位3000BHT、2位2000BHT、3位1000BHT
  (1BHT=約2.7円)。
・後日  
  後日。商品券を手に直営店へ。クイックドライのTシャツを2枚
  ゲットした。(通常の綿のTシャツは高くても200BHTくらい)
  更に、その後、コンペが行われたクライミングタワーで出場選手
  の一人だった女の子と話をした。「見たことのない日本人が3位
  に入賞するとは、誰も予想していなかったよ!」と言われた。
  当日は3位入賞で喜んでいたが、よくよく考えればビギナークラス
  で3位というのは非常に悔しい。再トライしたいところだったが、
  「上位入賞者であるあなたはビギナーではない」と言われた。
↑このページの先頭へ
19.クライミング in Lopburi   *堀
【報告】クライミング in Lopburi

2005年1月9日
場所;Lopburi(ロッブリ)

12/25に行われたクライミングコンペを主催していたクライミングファクトリーという地元の会社が岩場での日帰り体験クライミングのメンバーを募集していたので、それに乗っかるかたちで参加することにした。
費用は交通費+昼・夜食+用具レンタルで1500BHTと、個人で行くよりもかなり高いが、こういうときだけ日本円に換算。約4000円、、、良しとしよう。
場所はバンコク市外からモーターウェイで約3時間のロッブリの岩峰。
ちなみに、ロッブリの「ブリ」は日本の「県」のような意味?。

当日の朝、朝のクルンテープ(バンコク)は朝市以外、静かに眠っている。
(ちなみに、最も活気のある時間帯は18時〜22時。昼と打って変わって全く別ものの街に変身する。)集合場所までタクシーで行き、カットフルーツを食べながら参加者の集合を待つ。

10人乗りのワゴン車にスタッフと参加者を詰め込み。予定より30分以上遅れ9:30出発。モーターウェイを飛ばしすこと約2時間(タイ人の運転は怖い、、、。)
一般道にロッブリに近づくと、石灰岩の小山がたくさん現れる。
石灰岩と言えばコンクリートの原料。石灰岩採掘で一部の山は元の形を失っている。「採掘された石灰岩はクルンテープ(バンコク)のビルディングに姿を変えるのですね。」と同年代のタイ人スタッフと話をし、お互い感慨にふけっている横で、他の若いタイ人スタッフがカラオケで覚えたらしい「一休さん」を得意げに、しかも大声で歌っている。バカヤロー!しかし、いつか君にもわかる時がくるよ。

そんなこんなしているうちに、岩峰を遠望できる場所に到着。あたり一面はひまわり畑。残念ながら、タイではひまわりは晩秋〜初冬の花。11〜12月がピークが過ぎ、ほとんどのヒマワリが下を向いていた。このヒマワリは食用油の原料に使用される。

記念写真を撮った後、再び車に乗り込み岩峰の麓に到着。ここにはワット(寺)あり、お坊さんへの挨拶とお参りをした後、約10分のアプローチで岩場に到着。既に数パーティーが岩に取り付いており、そのほとんどが既に
顔見知り。バンコクでのクライミングが日本よりも遥かに狭い世界であることを実感。

岩はギンギンに尖った石灰岩。ルートはショートルートが10本くらいか?
その他に岩峰の頂上へ抜ける薮混じりのマルチが1本。岩峰と言ってもほとんどが潅木交じりの岩で、クライミング可能な岩は思ったよりも規模が小さく、少し拍子抜け。
岩質は石灰岩。日本の支点はケミカルボルトが主流になっているので、あまり心配はないが、ここは大丈夫か? さあ、登るぞ!という気持ちにはなれない。まずは周りの様子を見ながら、10前半のルートをトップロープで登り、支点と終了点の状態を確認。支点は問題なさそうなので、次の10前半くらいのルートをリード。終了点からの眺めは結構よく、あと1ヶ月早く来ていれば、あたり一面がヒマワリの黄色で素晴らしい眺めだっただろう。久々に吸う田舎の空気は日本と同じ。気持ちいいい。おいしい。

その後、昼食を挟んで5.9〜10前半のルートを計5本登り終了。
久々の外壁ということもあり、4本目くらいから力まずに自然な動きで登れるようになったが、支点の心配が拭い切れず、最後まで「落ちることはできなかった」。

帰路、ロッブリの小さな町の中にある雰囲気の良いタイレストランで打ち上げ。料理はおいしいのだが、精神的疲れからか?あまり、食欲がなく?
ご飯のお代わりは1回だけにした。それに対し、「一休さん」の若者は食べる食べる。最後は少し残ったおかずにナンプラーと唐辛子をたっぷり加え、それをカオパオ(白飯)にぶっかけ、かっ喰らっていた。これもタイローカルの「食」なのだ。

長いモーターウェイをクルンテープに向かう。疲れで眠ってしまい、目を覚ますと、クルンテープの夜の喧騒に戻ってきていた。朝出発した集合場所に23時到着。長い1日が終了した。
↑このページの先頭へ
20.湯の丸山  田宮、*長谷部
はせべです。
土曜の雨のせいで浅間山麓はバキバキの雪(氷?)、浅間山自体はガスの中...、という状態だったので浅間山よりは期待できそうな湯の丸山へ移動。まぁ、予定通り?

さて、湯の丸山は、2年前、初めての山スキーで行った場所。

あの時は、山頂付近で天候の回復を待っているときに、掘っても掘っても雪があって興奮したこと、初めての
シール歩きに感動したこと、おにぎりを食べようとしたら吹き付ける雪と共に凍ったご飯粒が飛んでいってしまってとてもがっかりしたことが印象に残っている。

「今回はどうだろう?」と、ワクワクしながら湯の丸山に向かった。

【日時】2005年2月20日(日) 晴れのち曇り
【場所】湯の丸山
【メンバー】田宮、長谷部
【ルート】鹿沢温泉(9:00)〜山頂(10:30)〜東面〜牧場(12:30)
      〜山頂手前〜東尾根(仮称)〜鹿沢温泉(14:00)

車を下りると、サラサラの雪が積もっていて驚いた。
浅間山から20km前後しか移動してないのに、不思議。

滑降標高差を稼ぐために、2年前と同じく鹿沢温泉から取り付く。
穏やかな天気の下、牧場から湯の丸山の姿を確かめられた。
どこでも滑ることができそうなので、どこを滑るか悩みながら牧場から樹林帯を突っ切り、あっという間に山頂に到着。

山頂からぐるりと各方角の斜面を偵察していると、いつの間にかガスに包まれてしまう。
行動食を食べながらしばらく様子をみたものの、晴れる気配が無いのでガスの中を滑り始める。

東斜面のオープンバーンの雪はパックされていて、今の私の技術ではろくに滑ることができない。
何度も転びながら樹林帯に入ると、雪は一転して浅いパウダーになり、気持ちよく滑ることができた。
樹林のチカラは素晴らしい。

牧場付近まで滑り降りてから、雪とガスの状態が悪くなる手前まで登り返し、今度は東尾根を滑る。
P1855の手前からパウダーが残る樹林に滑り込み、パウダーの感触を確かめながら鹿沢温泉に戻った。

帰りには地図で見つけた小諸の布引観音温泉へ。シブい雰囲気でなかなか良いところだった。
(入湯料\320)
↑このページの先頭へ
21. 尾瀬・悪沢岳 田宮、縣、*長谷部
はせべです。
2/26-27の尾瀬は大当たりでした。

しかし、両日とも風雪がやまなかったため、始終視界が無く、地形図から想像する地形を「歩いた」「滑った」という印象なので、夢の出来事のよう。

【日時】2005年2月26〜27日 雪(冬型)
【場所】尾瀬・悪沢岳
【メンバー】田宮、縣、長谷部
【ルート概略】戸倉〜津奈木橋〜悪沢岳〜津奈木橋〜戸倉

1日目:戸倉(8:00)〜津奈木橋(11:00〜11:40)〜悪沢岳P1950(13:40)
   〜オヤマ沢滑降〜登り返し〜津奈木橋

出発前夜は戸倉スキー場の更衣室に泊る。
スキー場の駐車場から林道を通って尾瀬を目指す。積雪量は多く、標識は足元に、電線は目の前にあった。
西山の北のP1778は記憶を上回る藪の濃さだったので、林道を使ったアプローチに変更。
自分の記憶がかなり美化されていることを実感。

津奈木橋でテントを設営し、悪沢岳へ向けて出発。
南斜面のブナ林は、軽い新雪の下がアイスバーンだったのでラッセルらしいラッセルは無く、一気に稜線へ上がる。
高度を上げるにつれ、冬型らしい天候になり、寒い。久々にまつ毛が凍って目が開けられなくなった。

あまりの寒さに弱層チェックはサボり、オヤマ沢に滑り込む。
樹林に守られたオヤマ沢は超軽いパウダーが積もっており、ターンの度に舞い上がるスプレーの量がすごい。
遊歩道の近くまで滑ってから、鳩待-悪沢の尾根に登り返す。登り返す北向きの斜面も軽いパウダーを抱いた疎林で魅力的。

1750mあたりから南向きの斜面を林道に向かって滑り込む。
こっちは底にアイスバーンがあるものの、膝まで埋まるサラサラパウダーで、またしても高いスプレーが上がる。
小尾根を越え、上流から一直線に落ちてくる沢底に降り立つ。
先日の気温上昇と雨の影響か、舗装された道路のようなアイスバーンが埋まっている沢を滑り、林道を通って津奈木橋に戻った。
そしてこの夜、縣さんの屁が止まらなくなった。


2日目:津奈木橋(8:30)〜悪沢出合の手前〜P1750(12:00)
   〜井戸沢南尾根滑降〜津奈木橋(13:40)〜戸倉(16:00)

朝、目が覚めると縣さんの屁は止まっていたが、雪は相変わらず降り続いていた。
テントの外に出ると、戸倉へ戻るトレースも悪沢へ向かうトレースもすっかり消えていた。
道中と帰路のラッセル時間を考え、滑降は小笠方面の1本に絞ることにして出発した。

歩き始めはスネ程度の深さのラッセルだったが、次第にヒザ、一部ではモモと、どんどん深さを増して移動速度が落ちる。
水平移動が長い小笠方面はラッセル時間が勿体無いと考え、悪沢出合の手前から鳩待-悪沢の尾根に切り替える。

登り始めたP1766の南斜面も滑降向きの素晴らしい斜面。滑りたくなる気持ちを抑えながら、P1766に到着する。
雪の中に浮かび上がる周辺の斜面はどれも素晴らしく、おもわず溜め息がもれてしまう。
井戸沢源頭も良さそうだが、沢底での深いラッセルを避け、P1766から南東に伸びる井戸沢南側の尾根を下ることする。

雪の状態を確認するため、コンプレッションテストを実施。
70cm程度の深さにヒジ4回で割れる層があった。(新雪が約30cm)(ある程度、力を入れていたので、CTHくらいか?)
その斜面には南面にあった30〜40cmの深さの層が無く、素直な雪が厚く積もっていて、気持ちが高まる。

コンディションの良さを期待しながら、滑降開始!うぉぉ、なんだこりゃ!大当たりだ!全身にパウダーを浴び、心も体も真っ白になる。
皆、あふれ出る歓声や笑いを抑えることなく、一心不乱に目の前の白い斜面を滑り降りる。
林道に飛び出す手前で小休止、ようやく息をつく。興奮を鎮めさせ、大成功、と皆で握手を交わした。

余韻に浸りながら津奈木橋に戻り、テントを撤収する。
人が少ないうちに、もう少し尾瀬を開拓してみたい、と思いながら津奈木橋を後にし、戸倉に戻った。
↑このページの先頭へ
22.鍋倉山  *師橋(単独)
今晩は、師橋です。
鍋倉小屋の除雪がてら鍋倉山に登ってきました。
12日は終日吹雪、10時間も飲み続けてしまった。
13日朝目を覚ますと晴れ、60p以上粉が積もっている。
とんでもない二日酔いながらトレースもあったので行ってしまった。

【日時】2005年3月13日
【場所】鍋倉山
【メンバー】師橋(単独)
【ルート】鍋倉小屋(10:30)〜 西ノ沢〜黒倉山東の稜線〜鍋倉山(12:30)〜小屋(13:30)

西ノ沢経由のルートは急斜面がなく誰でも楽に登れる好ルートだが景色は良くない。頂上からはこの季節とは思えない60cmのパウダー!
群馬のテレマーカー5名と一緒になり小屋で飯を食っていってもらった。
少しづつ復活かな・・・?
ではまた。
↑このページの先頭へ
23.四郎岳(尾瀬) *田宮、縣直年
田宮です。
また、禁断の果実に手をつけてしまった。泊りで武尊のつもりで出かけたが、金曜は山でも雨だったようで、現場で方針変更。どんな雪の状態でもなっとくできるであろう新ルート開拓に切り替える。
弟子の長谷部を置いてここに手をつけた罰?で僕は、悲惨な下痢に襲われ、山にまるで、犬の縄張り主張のごとく、沢山の茶色マークを付けてきました。

日時:2005年3月12日(土)
天候:雪
メンバー:縣直、田宮
行動:9:00丸沼ペンション街-林道-11:00南西尾根取り付き1650m-13:30山頂2156m-15:00?丸沼ペンション街

今回のコース、地形図「丸沼」と「三平峠」にまたがっているが、後者は持たずのかなり無謀な入山。WEBで見た藪ハイカーの記録(林道が続いている)を信じて進む。
南西尾根は、最初は疎林で「なかなかいいじゃん」って雰囲気だったが、登につれ、針葉樹が濃くなり、展望がまったく利かなくなる。僕の腹具合を気にしてか藪がいやになったか縣君が、ここらで降りますか?聞いてくれるも、二度とこないかもしれないから、がんばって進む事に。
テーブル状の広い山頂付近は密藪。縣君が、木にくくりつけられた「四郎岳」なる私設看板を見つけなければ、どこが山頂だかわからなかったと思う。
ここで一休みして、ぐるりを見渡すが、全方向、密な針葉樹林だった。
下りではテーブル状の山頂は、スキーがただの邪魔物だったが、登りで「いいじゃん」と言った部分、標高差400m程度は気持ちよく滑った。
標高差400mのために林道歩行二時間のアルバイトはきつい。また行くか?と聞かれたら、今はNO。ちなみに、去年の金山(乗鞍)よりは滑れたと思う。
↑このページの先頭へ
24.家の串東尾根〜荒砥沢  *田宮、縣直年
田宮の報告が続きます。
四郎岳の下山後、街に出てマツキヨに行き、下痢止めを購入し、今日に備える。
ただ、まともなものを食べてないので、力が入らない。うーん。折角4連休にしたのに・・・・。

日時:2005年3月13日(日)
天候:雪
メンバー:縣直、田宮
行動:8:00逢瀬橋〜家の串東尾根〜11:00家の串直下の鞍部〜荒砥沢上部〜トラバース〜家の串東尾根(登りかえし)〜荒砥沢ゴルジュ地帯〜15:30?道路

冬型になり、雪がちらつくも、さすがはここ武尊。時々晴れ間の見えるいい天気。
腹具合は少し治まるも、まともな物を食べてないので元気なく進む。鞍部の手前は、去年以上のこぶこぶ状態。しかたなく、西側の藪の中を進む。
鞍部を今日のゴールとして、どこを滑ろうか?などと話していると、沢を登ってくる五人組みが見える。RSSAの藤倉さん達だった。ここからは成り行きで、藤倉さんグループと合流した。
荒砥沢は、最高のパウダー。縣君、僕、その後に奇声を発して滑る藤倉さんグループが続く。
平均年齢60歳?の超過激な人達(内女性3名)との合流はおどろきの連続。とにかく皆スキーがめちゃ上手く、行動がスピーディー。藤倉さんは、大器の証で鼻水たれたれ状態。
途中のトラバースで、涎物の斜面を発見(藤倉さん達は滑走済み)。こんどはここを滑りたい。下山では、藤倉さんのいけいけどんどんモードで勢い余って、西俣沢でなく、荒砥沢のそれもゴルジュ地帯へおりてしまう。でもこの面子なら問題なし、開いた沢脇のスリリングな滑降。だれも転んだりして遅れない。さすがだ。
下山後、藤倉さんご用達の民宿にやっかいになり、温泉に入れてもらい、食事まで頂く。
↑このページの先頭へ
25.御飯山  *田宮
田宮の4連休報告ラストです。
13日、縣君と沼田駅で別れ、その足で六日町へ。ここでビジネスホテルに投宿。下痢を治すためにも、暖かい部屋で寝たかった。
14日は、20年ぶりと言う豪雪をこの目でじっくり見て、写真におさめようと、広神村、入広瀬村近辺を車でうろつく。道路は全て側が雪壁なので、迷路をさまよっている様。大白川駅まで行き、守門温泉に入り引き返す。
この後、谷川南面の偵察にいくも、それまでと雪の量が違い、お目当ての山へ向う林道に雪なし。そうそうに諦め、もう一つ、前から気になってた全然違う方向の万座へ向う。

日時:2005年3月15日(火)
天候:晴れ
メンバー:田宮(単独)
行動:6:30万座スキー場〜林道〜8:40御飯山2160m〜明神沢1750m地点〜林道へ登り返し〜林道〜11:00万座スキー場

御飯山はクラッシック・ルート四阿山〜万座ルート上にあるピーク。一昨年、縣夫妻と田宮・長谷部とで草津ミニ集中した際、縣夫妻を万座へ送る際に見て、いつか滑りたいと考えていた。東面が疎林で、標高差500m弱。ここだけ滑るのが今回の目的。ツアーだとここを滑る余裕がなく、林道をトレースする事になってしまう。これじゃ、もったいないおばけがでてしまう。
万座から林道での移動に一時間強掛かるけど、いい斜面だった。雪はアイスの上にほんのり新雪状態。標高差約400mを、一人で声張り上げて滑る。ここは、もし誰かに誘われたら、また行きますよ。今回は一度登り返ししただけだが、もう少し遊べそう。斜度は緩いが黒湯山からの尾根も疎林だった。
万座川まで滑って対岸へ登り返す事も考えてたが、沢が埋まってなく、ここまでは冒険しなかった。
↑このページの先頭へ
26.宝川源流  田宮、縣、天満、*長谷部
はせべです。
久々の大斜面滑降が新鮮でした。
しかし、時期がちょっと早かった…惜しい。ザラメの時期にまた行きたい。

あと、大石沢から見た四郎岳、やっぱりイケそう。来シーズンのパウダー時期(?)にトライします。

【日時】2005年3月19〜21日
【場所】宝川源流
【メンバー】田宮、縣、天満、長谷部
【ルート】本文参照

1日目:土合橋(10:00)〜白毛門山頂(15:00)〜ウツボギ沢〜広河原BC

目が覚めると、湯檜曽駅の外は吹雪だった。
皆、春のスキーを期待していたので、出鼻をくじかれてしまう。
午後からの回復する予報に期待して出発を遅らせるが、降雪は弱まらず、板を担いでのそのそと白毛門へ出発する。

山頂の視界は悪く、風も強いので、そそくさとウツボギ沢へ滑り込む。
ちょっとひっかかるパウダーだったが、この天候にしては期待以上の雪質で、重荷を背負った体でも気持ちよく滑れた。

沢沿いのブナ林を眺めながら広河原まで滑り、テントを設営する。
明日の天気の回復を祈りつつ、眠りについた。

2日目:広河原BC(7:30)〜烏帽子岳(10:30)〜宝川源流滑降〜大石沢出合(12:00)〜稜線(13:40)〜大石沢滑降〜広河原BC

快晴の朝、広河原で田宮さんと別れ、烏帽子岳へ向かう。
宝川源流の幾本もの滑降ルートに惹かれながら宝川を遡る。
しかし足元には氷のハードクラストかアイスバーンが続き、烏帽子岳山頂に近づくにつれ、氷は堅さを増していった。

私と縣さんはクトーをつけて山頂へ、天満さんは途中で折り返し。雲は出始めていたが、山頂からの周囲の山々の眺望が素晴らしい。
ガチガチの氷の上で板を外し、緊張しながら滑降開始。アイスバーンを通過し、柔らかそうな雪を拾いながら滑る。
これでは当初狙っていた朝日岳北東斜面も期待できないので、朝に陽があたっていた大石沢に向かう。

大石沢出合に戻ると、別パーティが大石沢を登っていた。太陽は出ていないが、風が無いので暑い。汗をかきながらサクサク登り、稜線へ出る。
朝日岳方面を偵察してからシールを外し、大石沢に滑り込む。出だしは傾斜があるが、こちらは雪は緩んでいるので安心。尾瀬や武尊を眺めながら、開放的な斜面を気持ちよく滑る。
振り返って見上げると、広々とした斜面に3本のトレースが刻まれているのが確かめられ、うれしい気持ちになる。

納得の1本を反芻しながら、大石沢出合で水を汲み、広河原のテン場へ戻った。天満さんが持ち込んでいたリンゴの味が格別だった。


3日目:広河原BC(6:00)〜丸山越(6:50)〜丸山沢〜東黒沢〜土合橋(8:20)

夜中から風が吹き荒れ、風がぶつかるたびにテントが半分ほどの大きさにひしゃげ、体を揺すられる。
テントの強度に感心しつつ、ウトウトと夜を過ごす。

風が山にぶつかる音を聞きながらテントを撤収し、泊まり装備を背負って丸山越へ向かう。
丸山周辺のブナ林は美しく、歩くだけでも気持ちよい。

丸山越へ到着する頃には、雪が激しく降り始めた。抜けてしまった気持ちにトドメがささり、あっさりと下山を決断。
丸山沢は開いた箇所が何箇所もあり、右往左往しながら下る。
東黒沢と合流し、完全に埋まったハナゲの滝を滑り下り、朝陽が差し込む土合橋へと戻った。
↑このページの先頭へ
27.鍋倉山(その2)  *師橋、師橋(翔)、三徳、三徳(悠太)、他5名。
今晩は、師橋です。
三連休は親族サービスで戸隠だったが、小さい子供達の相手が嫌で、20日に翔一と小屋を逃げ出し、鍋倉に遠征。小屋にはいつものメンバーと、出雲からメンバーの友人(二人がテレマーカー)が来ており、山頂へ行く事になり、先週に続き鍋倉に登った。

【日時】 2005年3月20日
【場所】 鍋倉山
【メンバー】 師橋、師橋(翔)、三徳、三徳(悠太)、他5名。
【ルート】 鍋倉小屋(9:30)〜 南東尾根〜鍋倉山(11:30〜12:00)〜巨木
の谷〜小屋(13:00)

テレ4名、山スキー3名、ボード2名の構成。雪は先週のパウダーが寒暖の繰り返しでクラスト気味、只天気が良いので昼頃には適度に緩んだ。山頂では後から約50名の大パーティが到着、さっさと下る事にする。岳人に出てしまった影響・・・?

さてシーズン真っ盛りですが、勝又の引越しがあります。「業者を使うから面倒はかけない」と豪語していたのですが、引越しもまたシーズン真っ盛りで業者を使えません。皆さんのご協力をお願いします。一応、土曜に引越し、日曜近場でうろこ板ツアーなどどうかなと思っています。
ではまた。
↑このページの先頭へ
28.下権現堂山  *田宮
田宮です。
3度目の正気で、情報なしルートの快心登下降でした。尾根に這い上がった時点で、思わず「もらった!」とさけびたくなった。無木立ちの斜面が山頂まで続いている。斜度も良い。振り返ると今まで見た事のない角度で八海山、越後駒が見える。

日時:4月2日(土)6:50〜12:00
メンバー:単独
山:下権現堂山(中越の旧広神村)
 国道R252を小出から守門方向に走る時、右手に見える山塊の1ピーク
コース概略:長松集落除雪終了点150m→戸隠神社→夏道尾根→山頂896m→皿津川滑降400mまで→西よりの尾根を登り返し→山頂→登山道の隣の小尾根→戸隠神社→除雪終了点

歩き出しの標高が150mなので、尾根への取り付き部がずたずた。ここで一度だけ板を脱ぐ。ここを越えてからは、鼻歌を歌ってられるような斜面。涎たらして登りました。
山頂には9:00に着く。さてどうするか?南面の雪質を考えると、即、降りるべきなのだが、北面も無木立ち斜面なんで悩ましい。まずは気持ちを落ち着けるため360度の展望を楽しむ。浅草と守門が並んで見える。
結局、我慢できず北面も滑る事にした。皿津沢川を斜度がなくなる400m付近まで滑った。ここでシールをつけて登り返し、西側の小尾根経由で山頂に戻る。耳をすますと、只見線の列車の汽笛と走る音が聞こえた。JRの演出に感謝。
北面を滑っている間に、つぼ足の登山者が山頂に立っていたようで、トレースが残っていた。北面は雪がほどほどに緩みよかったが、南面は、腐りかかっている。それでもテレマークターンができないほどではなく、楽しんだ。下山後、折角なので、戸隠神社を参拝したが、ここで山頂のトレースの主と会った。地元の70歳のおじいさんで、由緒正しき地元スタイル「長靴+ワカン+軽アイゼン」だった。権現堂山が地元に愛されている山である事、今年の雪、昔はおれもスキーしたんだよ等、楽しい話しを聞かせてもらう。おじいさんは、家族のため取ったのか開花したマンサクの枝をもっていた。中越にもようやく春到来です。

ルートよし、JRの汽笛の演出よし、70歳のおじいさんとの出会いよしと最高の一日でした。
↑このページの先頭へ
29.五地蔵  *師橋、三徳、弘田(戸隠小屋関係)
今晩は、師橋です。
週末の報告です。

【場所】 戸隠高原
【ルート】 大橋〜五地蔵東面の沢途中まで
【日程】 2005年4月2日(土)日帰り
【メンバー】 師橋、三徳、弘田(戸隠小屋関係)

前夜小屋に入ると必ず翌日寝坊になる。分かりきってはいるけどこのメンバーだと飲まないわけにはいかない。結局ゆっくり出発、狙っていた東面の沢はブッシュが濃く、谷も地図で観るより深く、登路にはなりにくい。他へ転進する時間もなく下山。
その後スキー場から裏へ滑り込み、高デッキ山へ登ってお茶を濁す。

以上
↑このページの先頭へ
30.日向倉山  *長谷部、師橋、田宮、縣、佐藤
はせべです。
先週の報告です。春もいいですねー。

【日時】2005年4月9日(土) 快晴
【場所】日向倉山
【メンバー】師橋、田宮、縣、佐藤、長谷部
【ルート】銀山平〜日向倉沢左岸尾根〜山頂〜二俣ノ沢右俣滑降(登り返し)〜本沢源頭滑降(登り返し)〜日向倉沢滑降〜銀山平

小出IC近くで3時間だけの睡眠の後、快晴の銀山平に到着。道路の両側には高い場所で5mくらいの雪の壁が聳えていた。
銀山平から日向倉山方向を見ると、日向倉沢とその左岸尾根が山頂に向かって一直線に伸びているのが目に入る。
その日向倉沢左岸尾根を経由し、山頂へ。

山頂から奥只見の展望を満喫してから真っ白な二俣ノ沢の右俣(東俣?)に向かう。
それぞれが滑りたいと思う沢や尾根にバラバラに散っていく。
私は尾根東端の沢の様子を偵察しに行ってから滑降開始。奥只見湖を望みながら尾根を滑り、皆が滑っている沢に入る。斜度があったのでアルペンターンで一気に高度を下げていく。
雪が悪くなったところで皆を待ち、合流してから登り返す。

山頂とP1408のコルから下る本沢源頭を覗き込むと、よさそうな気配だったのでシールを外して再び滑り込む。
日が当ってなかった北面はちょうどいい雪の緩み具合で、止まるのが勿体無くて一気に滑ってしまった。
木漏れ日の下でシールを張っていると、怪我や事故が続いてモヤモヤしていた気持ちが無くなっていることに気が付いた。

再び山頂に戻り、師橋さんが持ち上げたビールを味わう。
ポカポカ陽気で昼寝したい気持ちを抑えながら、日向倉沢へ。皆、それぞれ会津駒、中ノ岳、荒沢岳をバックに下っていく。
雪はすっかりゆるんでいて、かなりひっかかってしまうが、久しぶりの春の雪の感覚がうれしかった。
↑このページの先頭へ
31.未丈ヶ岳・その2  *師橋、田宮、RSSA牧野氏、鈴蘭小林氏
今晩は、師橋です。
先週に続き奥只見、田宮・堀こだわりの未丈ヶ岳へ行ってきました。

【日時】2005年4月16,17日
【場所】未ヶ丈岳
【メンバー】田宮、師橋、(RSSA牧野氏、鈴蘭小林氏)
【ルート】
16日(晴れ) 牧野・田宮:丸山スキー場〜1288m手前から北東尾根〜大鳥沢700m〜未丈ヶ岳山頂BC
        小林・師橋:丸山スキー場〜1376mJC〜未丈ヶ岳山頂BC〜せいの沢1200m〜BC

面白い組み合わせのメンバーで、牧野ペースの出発。
田宮、牧野両氏はJCに向かう途中から大鳥沢700mへ滑り込み、未丈へ直接上がる尾根を登る。聞くところによれば、大鳥沢700mに降りる直前、田宮君のスキーで切った雪面が流れ、(これを雪崩という!)本人も数十メートル流されセルフアレストのストックが埋まってしまい紛失。今年3本目。
師橋・小林はまともに尾根伝いに未丈の山頂へ。時間も早いので、せいの沢を300mほど滑り往復。雪は少しゆるいが、春のスキーを満喫。夜は宴会。

17日(晴れ〜雨) 山頂BC〜滝ノ沢1100m(登り返し)〜東の尾根〜大鳥沢700m〜1288m手前〜スキー場    

朝気温が低く雪面が硬い。わざとゆっくり準備を済ませ、四人で滝ノ沢を滑る。登り返した山頂で牧野・小林組と別れ、東の尾根を滑る。この山行のハイライトでブナの疎林で快適の一言。左に分かれる尾根も垂涎。また来たい。ほぼ田宮・牧野の入山コースを辿り、1288m手前から雨となる。不快なスキー場を滑り3:30下山。

田宮・堀のこだわりコースのようで、スキー向きの斜面が多く、快適。
人も殆ど入っておらず、貸切状態。尾根にアップダウンが多く、特にボーダーは全く入ってこないので我々向きといえそうです。
今年は雪の量が多く、こういった山行を可能にしたものでしょう。来年計画する時には、時期と雪の量を要チェック。
小生個人的には腰の状態を気にしていたが、何とか持ちこたえてくれた。帰りの温泉も、芋川の交差点を左に少し入ったところに温泉宿があり入れる。大正解。
以上。

***
田宮です。師橋さんの報告のように、プチ雪崩体験をしてしまいました。表面の雪だけが流れ、且つ、重い雪だった。なんで、ザックを雪面側にして、ひっくりかえされた亀さん状態でずるずるずると、沢床まで落ちました。
自分に一番言い聞かせないとならないのですが、気をつけましょう。

***
今晩は、師橋です。
この季節の雪なので、雪崩るスピードは遅く、底も浅いので、新雪よりはずっと安全ですが、質量ははるかに大きく、埋まったらアウト。(圧死が多い。)ストックが身代わりになってくれた??  
この季節は沢筋ではブロックが怖い。音もなく、かなりのスピードで飛んでくる。あたれば大怪我は間違いなし。また稜線の雪庇も恐ろしい。豪雪地では、先端から10m以上離れてもまだ雪庇の上という可能性もある。都立大のワンゲル現役も3年前に奥大日岳で雪庇の崩壊で死亡している。気をつけましょう。
↑このページの先頭へ
32.乗鞍富士見岳  *縣X2、長谷部夫妻
2005年04月17日(土)
アガタです
週末は土曜夜出、日曜日帰りで乗鞍富士見岳へ。長谷部佳織さん初山テレかな。
富士見岳直下のアイスバーンで滑落したにもかかわらず、怖がらず下へ下へと突っ込む積極的な姿勢に拍手。
↑このページの先頭へ
33.白馬乗鞍  縣/長谷部夫妻、倉本/*佐藤
2005年04月24日
この週末ですが、縣/長谷部夫妻の白馬乗鞍計画に独身ペア(倉本/佐藤)も合流させてください。。
今晩21:00過ぎに東京出発予定です、翌朝栂池高原スキー場のロープウェー乗り場で待ち合わせさせてください。天気もよさそうだし、のんびりした山行になりそうですね。。佐藤
↑このページの先頭へ

34.南会津山スキー(前半)  田宮、*佐藤
佐藤です、以下先日の南会津山スキー報告です。

日程  : 4月29日(金)〜5月2日(月)
       *5月2日以降の報告は別途田宮さん実施
メンバー: 田宮さん、佐藤 (2名)
場所  : 南会津 三つ岩・窓明・坪入山周辺の山スキー
内容  : 4月29日(金) 
        移動(東京→南会津小豆温泉)

       4月30日(土) 快晴 雪質◎(ざらめ)
         小豆温泉 出発(07:30)
         夏道から入山→黒檜沢遡行→左岸尾根にとりつきそのまま三岩岳/窓明山のコル(1850m)へ到着、そのまま西面のミチギノ沢を滑降
         BC設営(1420m付近) その後現地偵察

       5月01日(日) 快晴 雪質◎(ざらめ)
         BC出発→窓明山へ繋がる尾根を登行→窓明山西面(1800付近)到着
         西面の沢を滑降→坪入山南面の沢合流点まで(1500m付近)→坪入山南東面へつづく尾根を登り返し→坪入山直下到着(1700m)→
          東面の西沢滑降(1400m付近)→尾根を登り返して再び坪入山山頂到着(1850m)→坪入山南面の沢を滑降→ミチギノ沢出会い到着(1200m)→BC到着

       5月02日(月) 曇り時々晴れ 雪質◎(ざらめ)
         *BC撤収後、田宮さんと別れ別行動(田宮さん報告は別途)
          BCよりミチギノ沢登行→三岩岳コル到着(1850m)→東北東につづく尾根を滑降
          1308m経由→小豆温泉(14:30下山)

補足  : 4月29日異臭星人田宮あらわる、耐え切れずTシャツの着替えを強要、ファブリーズを吹きかけるべきか悩む
       4月30日、5月01日と田宮さんは果敢にも釣りに挑戦、沢の割れ目より釣り糸をたらすがもちろん坊主、でも本人は満足気・・・・
       4月30日はBCにて初の雪上焚き火を決行、沢以上に豪快に燃え二人して感動!

       3日とも滑降に関しては最高の雪・地形だった。二人して叫びながら沢を滑降、登りの疲れもふっとぶ。
       マイナーな山域といえどあなどれない!山域が2000m以下ということもあり山頂でも樹林帯である。
       ぶなの木立の中で癒されながら静かでとても優しい山を満喫できた。(田宮さんへ感謝!)
↑このページの先頭へ
35.南会津北部  *田宮、佐藤
田宮です。佐藤君お疲れ様でした。
佐藤と別れてからが自分にとっては今回の山行のハイライト。地図上でおった枝尾根と沢を使い丸山岳に立つ。目的を達し、めちゃくちゃ疲れたけど、大感激でした。只見へ抜けるのは妄想としてしまっておきます。これで十分か?
ストック3本失う、ビンデイングのケーブルを2本切る、家の鍵を温泉に忘れる、信じれないミスルートと、だめだめだった自分を見直しました。
詳しくは後で書きます。
最終日になっても気力、食料、ガスは余ってたんですが、ひとつげんなりする事があった。足の臭さです。初めて長期山行で、サーモインナーを使用。蒸れ蒸れ状態が五日も続くと、さすがの僕でもいやになります。縣君よく黒部で毎日履いてたね。

4/30 小豆温泉〜黒檜沢〜三岩岳(山頂には立たず)〜ミチギノ沢1,400mBC1〜沢を1200mまで下り水組み〜BC1
5/1 BC1〜窓明山〜ミチギノ沢〜中間尾根〜坪入山〜西沢1450m〜坪入山〜ミチノギ沢1200m〜BC1
5/2  前日夕方から雨、この日10:00過ぎ漸く雨が上がる、ガスが晴れるのを待ち11:30出発
   BC1〜坪入山〜尾根・東実沢〜東実沢1100mBC2〜東実沢と西実沢の出会い〜BC2
5/3  BC2〜東方向の尾根で高幽山〜北東方向の尾根で西実沢1100m〜南東方向の尾根で1732mJP〜丸山岳〜1732mJP〜梵天岳〜西実沢と東実沢の出会い〜BC2
5/3  BC2〜高幽山・坪入山の鞍部〜坪入山〜窓明山〜保太橋沢1250m〜夏道尾根1550m〜尾根で小豆温泉(1000mで雪が切れる)

-以上-

田宮です。白馬岳・大雪渓では長谷部君、師橋さんごくろうさまでした。
田宮、長谷部はこれで晴れて2005年シーズンのスキーは打ち止めです。来週は山菜取りに行きます。師橋さん、報告お願いします。
以下、GWの田宮の記録です。長文です。BS原稿のつもりでまとめてました。

南会津北部(窓明山・坪入山・高幽山・梵天岳、丸山岳)
今年のGWは南会津北部の山々で、ブナの原生林をテレマークスキーで気ままに登っては下る。こんな生活を5日間続けた。ブナの芽生え、イヌワシ、満天の星、小鳥の囀り、喉を潤す清流などの豊かな自然との出会いがあり、飽きるどころか、最後日には後ろ髪引かれる思いで幕場を後にした。

(4月30日)晴れ
東京から佐藤の車で前夜、小豆温泉まで移動し、この日は5:00に起き、7:00に出発した。
スキーを担いで歩き始めてすぐ、黒檜沢の雪が繋がったのでシールでの登りに切り替える。
側壁から落ちた雪が沢床まで達しており、一部で急斜面のトラバースを強いられたが、直ぐに沢は開ける。
三岩岳を正面に見て、夏道の南側の尾根を進み11:30、稜線に立つ。ここからミチギノ沢左俣に滑り込む。
出だしこそ密な針葉樹を避けての滑降だったが、直ぐに開け、一気に斜度が緩む地点まで滑る。
標高1400m付近で荷を降ろし、ここを二晩の幕場とする。ぶなに囲まれた、巣晴らし場所だ。
重荷から開放された後、水汲みを兼ね、広く緩い沢を下れるところまで滑る。
ムジナ窪沢が出会う標高1200m付近で沢が急に狭まり、流れが顔を出す。
滑降はここまでとし、水を汲んでからのんびりと幕場へ戻る。この晩は初体験の雪上焚き火。
満天の星空の下、寒くもあり暖くもある不思議な体験。
西の方角に奥只見丸山スキー場のものだろうか、明かりが見えていた。4月に活動した場所が本当に直ぐ近くなのだと実感する。

(5月1日)晴れ後雨
 8:30に出発。幕場の直北側の尾根を窓明山の頂上手前までシールで登り、北側の沢を沢床まで標高差にし400m滑る。続いて坪入山と窓明山の鞍部に突き上げる尾根を登り、坪入山に10:40に立つ。ここでようやく今回の活動の核心部となる高幽山・梵天岳・丸山岳の東面の全容が目の前に広がる。積雪は十分、計画していたルートは全てスキーでトレースできそうだ。
 小休止の後、眼前に広がる安越又川・西沢に滑り込む。傾斜のある快適斜面だけを堪能して、稲子山に続く尾根をシールで登り山頂に戻る。標高差400mを二本滑ってもまだ昼前なので、しばし休憩してから次にミチギノ沢左俣の枝流を滑る。
午後になっても雪が腐っておらず、ここでも快適な滑りを楽しむ。窓明山山頂に続く沢が出会う先の10m滝だけはスキーで通過できず、側壁の草つきを、板を脱いで越える。今回の山行で滝を見たのは、ここでだけだった。滑降は前日に水を汲んだ地点までとし、登り返して15:00に幕場に戻った。食事を終えた頃から
ポツリポツリと雨が降り始める。

(5月2日)雨の晴れ
 前夜の天気予報は「翌朝に掛け関東と日本海に小さな前線が通過するが、東北南部は朝には雨が上がる」と、言っていたが、起きてみたら雨。視界が極めて悪い。しかたなく、天候の回復を待つ。ようやく日が差してき11:30、小豆温泉へ下る佐藤と別れ、一人で坪入山へ向けて出発する。昨日滑ったミチギノ沢左俣の枝流を登り、つめでは昨日のシュプールを右手に見ながら坪入山の西のピークを目指す。13:30、ピークに立つ。
 急に一人になったので、佐藤と一緒に帰ればよかったかと一瞬日和見かけたが、ピークから真北に延びる尾根を滑りだすと、弱気などどこ吹く風。ピークから200mほど下った先で滑り込んだ北東方向の枝尾根との間の沢が、見渡す限り太いブナが立ち並ぶ、絵に描いたように素晴らしい斜面。ここを滑る事ができただけでもここまできた甲斐があったもんだと、一人悦に入る。翌日の行動を考え、東実入の標高1100m付近でまで滑降し、ここを二晩の幕場とする。
 重荷に開放された後、滑降ルート偵察と水汲みを兼ねて、ほとんど傾斜の無くなった東実入を西実入との出会いまで下る。下るにつれ沢が現れ、芽生えたブナが目に付くようになる。薄いスノーブリッジを渡る時のみ慎重になるも、終始、流れと木々を鑑賞しながらゆっくり滑る。テレマーク散歩と呼ぶのが相応しいこの滑降、小鳥の囀り、キツツキのドラミングのBGMまで付いている。こんな経験今までなかったな?と思う。出会い付近では沢が完全に出ており、ここから更に下るとなると一気に困難な状況に変わることが容易に推測できたのでテレマーク散歩はここまでにし、水を汲み、シールは貼らないで幕場まで戻る。

(5月3日)晴れ
 さあいよいよ、丸山岳を目指す日がやってきた。7:00、シール歩行で幕場の裏から高幽山につながる尾根に上がり、8:40、山頂に立つ。梵天岳方向に目をやると、空高く飛ぶイヌワシが目に入る。この場の主であるイヌワシのテリトリーを侵すのは気が引けるが、少しの間通過させてもらう。山頂からは北東方向の尾根を西実入の標高1150m付近まで滑る。時間が早かったので、一部がアイスバーンになっていたが、緊張するほどではなかった。シールを貼り続いて梵天岳と丸山岳の間の1723mJPへ登る。ここは気持ちのいいブナの疎林だった。JPから先はUP/DOWNのある尾根をシールを貼ったまま丸山岳まで進む。ここで山頂から降りてきた縦走者三人組と会う。12:00、丸山岳に立つ。寄り道を繰り返したので、四日目にしてようやく最終目的地に到達したわけだ。山頂から西方向には尾瀬〜越後〜会津の山々がずらりと並んでいる。至仏岳・・巻機山・・中の岳・・越後駒・・と、一つ一つ山でのスキー山行を思い返していたら、あっという間に時間がたっていた。
 登りでシールを貼ったまま来た尾根だが、下りでは最初の標高差200mの部分のみシールを外して滑る。やはり滑降はこうでなくては。最低鞍部でシールを貼りなおし、梵天岳を目指す。自分も疲れてきたが、シールも酷使でくたくただ。テール部の接着力が落ち、貼っただけでは剥がれてしまう。テーピングで補強して対処した。
13:30、梵天岳に立つ。
 梵天岳からは西実入を滑る。山頂直下は大きく張り出した雪屁、その下にはクラックが有り、ここからのエントリーは見送る。主尾根を南へ少し滑ってから西実入に入る。午前中の上り返し地点は素通りし、一気に東実入との出会いまで進む。東実入と同様、下るにつれ沢が開くも、出会いまで問題なく滑る事ができた。後は、昨日の散歩ルートで幕場へ戻るのみ。14:40とまだ時間は早い。ここで思い切って沢音を子守唄に昼寝をする。達成感に満ちた実に気持ちいいうたた寝だった。

(5月4日)晴れ
 昨晩、目的を達した安堵感に浸りながら、小豆温泉まで戻るルートを何通りか考えた。もう一日あれば・・・などと欲がでたりもしたが、帰りは寄り道せず主尾根を窓明山まで辿ってみることにする。UP/DOWNがあるのはわかっている。が、最後はとことん展望を楽しもうと思ったからだ。11:30、前半で立ち損ねた窓明山のピークに立つ。出発から実に4時間半掛かった。ここが今回の山行の最高標高地点となった。ここから目前に広がる保太橋沢に滑り込む。無立木の大斜面を気持ちよく標高1250m地点まで滑る。滑降時間は10分も掛かっていないだろう。四時間半続いた有酸素運動から、無酸素運動への切り替えが実に刺激的だった。ここから最後のシール登りで、13:30、夏道の尾根に立つ。尾根には沢山の登山者のトレースが残っている。後はつぼ足のトレースをさけながら忠実に尾根を下るだけ。標高1000m付近で、樹間がせばまり、雪が途切れ途切れになったので、あっさり板を担ぎ、歩きに切り替える。直ぐに夏道が現れ、5日間の白銀の世界から土の世界へ戻る。道わきに咲き並ぶイワウチワが重荷の苦痛を癒してくれた。14:30、小豆温泉に着く。会津高原へ向うバスに乗るまで時間があったので、温泉で5日間分の垢を流した。
<行動まとめ>
4月30日 登行高度1200m、滑降高度600m
小豆温泉-黒檜沢-三岩岳稜線-ミチギノ沢左俣-標高1,400m地点(BC1)
5月1日 登行高度1400m、滑降高度1400m 
BC1-尾根-窓明山1800m-ミチギノ沢左俣支流-尾根-坪入山-安越又沢・西沢-坪入山-ミチギノ沢左俣(支流)-BC1
5月2日 登行高度500m、滑降高度800m
BC1-ミチギノ沢左俣(支流)-坪入山-尾根-東実入枝流-標高1150m地点(BC2)-東実入・西実入出会い-BC2
5月3日 登行高度1650m、滑降高度1650m
BC2-尾根-高幽山-尾根-西実入標高1150m-1723mJP-丸山岳-1723mJP-梵天岳-西実入・東実入出会い-BC2
5月4日 登行高度1150m、滑降高度1250m
BC2-東実入-尾根-高幽山・坪入山鞍部-坪入山-窓明山-保太橋沢-夏道尾根-小豆温泉

総登行高度5900m、総滑降高度5700m
↑このページの先頭へ
36.鳥海山スキー  *縣(直)、(や)、長谷部弘毅・佳織、倉本篤
アガタです。白馬沢いってらっしゃい。
いよいよ来週引越し。荷詰めしなくては。忘れそうなので鳥海記録出しときます。

【場所】御浜小屋ベースに鳥海山スキー
【日時】2005年5月3日火曜〜5月6日金曜 
【メンバー】 縣(直)、(や)、長谷部弘毅・佳織、倉本篤
【ルート】
■5月2日月 JR東川口駅20:30集合 浦和ICから高速、道の駅・鳥海で仮眠
■5月3日火 鉾立1150〜御浜小屋1700 文殊岳付近
7時ブルーライン開通とのこと。9時過ぎに鉾立出発して2ピッチほどで御小屋へ。
小屋番がいる。1泊千円。荷物を置いて一すべり。快晴の中、文殊岳手前の稜線へ向かう。
風が当たる稜線沿いは雪面が硬かったがすぐ滑りやすいいい斜面になり、一気に滑る。
なだらかな斜面と海が見える景観の中のスキー、やはり鳥海はいいなあ。
あっというまに千畳ヶ原方面に標高差500降りてしまう。
鳥海湖下1500付近でシールをつけ、1時間ほど登るBCへ。鳥海湖に滑り込む佳織さんと合流。

■5月4日水 BC〜鉾立往復、大平往復
昨日の高気圧が抜けたせいか風が非常に強く、山頂や千蛇谷は中止。
風とアイスバーンを避けて下部を狙っての行動に潔く切り替え。
まずは昨日登って来た鉾立・象潟口へ滑り込む。まだ8時前で曇りのため雪が硬い。
登り返して大平・吹浦口へ行くころちょうど雪が緩んできたが今度はガス。ガスの中しばらく滑っていると途中でようやく晴れてきた。
海と海岸線、飛島が大きく見えて来る。以前夕方に忠さんと来て滑ったことを思い出した。写真展の写真もここだ。懐かしい。
登り返したあと風を避けれるルートとして長谷部案により、笙ヶ岳と鍋森の下、檜ノ沢ぞいを滑る。
沢沿いを滑ると万助小屋方面に広大な広場が現れてまたびっくり。すごいスケールだ。どこ滑ろうか。
再び登り返すと夕日がきれいだったので写真をとったり滑ったりしたら18時近くになってしまった。
 
■5月5日木 文殊岳伏拝岳の間〜千畳ヶ原。下山
今日は下山なので行動は昼までにする。
朝曇りでガリガリのなか小屋から鳥海湖下1500付近へ降りる。
文殊岳伏拝岳の間の広い斜面を目指してクトーで登る。ここも滑り出したら止まれない広くて気持ちよい斜面が続く。
最後はトラバースして朝降りた地点に戻る。BCに登り返して荷積め、下山。
1時過ぎ鉾立てへ下山。長谷部夫妻は電車で帰京。

■5月6日金 やよいはタイマグラにてお世話になった井上さんを訪ね、環境省猛禽類保護センターへ。
縣直年・倉本2名は大平から吹浦口コースを経て2ピッチで笙ヶ岳へ。のんびり鳥海山を眺める。見た感じ万助小屋方面も何とか降りれそうな斜面だった。
下山後、猛禽類保護センター訪問、そのまま帰路につき翌日の朝3時帰宅。
↑このページの先頭へ
37.戸隠、鍋倉  *師橋、ジョアン(犬)他
今晩は、師橋です。
この連休は戸隠小屋のメンテナンス・夏準備目的で長野へ向かう。
勿論テレ板を持参。ただし、新たに我が家の次男坊となった師橋ジョアン(ゴールデンレトリバー、4歳、オス)も同行。

【日時】 2005年5月3日
【場所】 戸隠瑪瑙山
【メンバー】 師橋、ジョアン他2名+1匹
【ルート】 戸隠スキー場〜瑪瑙山往復
あまりに天気が良いので、 知る人ぞ知る清水さんと奥さん、飼い犬のシロとスキー場から瑪瑙山を往復。
今シーズンあれだけ多かった雪も殆どなく、山頂から下まで数回板をはずす。滑るとジョアンが興奮して付きまとい、板のトップを横切ろうとする。危なくて、急停止。フリーで滑るには工夫が必要。

【日時】 2005年5月4日
【場所】 鍋倉山
【メンバー】 師橋、ジョアン他5名
【ルート】 鍋倉小屋から鍋倉山往復
戸隠8:00−鍋倉小屋10:30−鍋倉山12:20
今年3回目の鍋倉、まだ飽きない。今回はジョアンを連れ、犬連れのテスト山行体力的には全く問題なし。
少し工夫をすれば十分いけそう。
↑このページの先頭へ
38.北ア白馬岳  田宮、長谷部、*師橋

今晩は、師橋です。
久々の高山に行ってきました。

【日時】 2005年5月14日
【場所】 北ア白馬岳
【メンバー】田宮、長谷部、師橋
【ルート】 猿倉8:00〜大雪渓〜白馬岳12:00 往復

小生の体調不良と上部で前日降った新雪の雪質が悪く白馬沢はちょっと重荷で、白馬往復とする。
大雪渓は夏のような賑わい。蟻のように人がうごめいている。
田宮、長谷部は頂上まで。師橋は遅れて白馬山荘まで。
上部はパックされた新雪、下部は石だらけで、滑りはいまいち。
長谷部君は滑走面がめくれるほど、修理で文林に直行。

そろそろシーズン終わりだけど、来週土曜に滑り納めで針の木or 蓮華大沢あたりに行くつもり。
↑このページの先頭へ
39.北ア・針の木岳  *師橋、三徳(都立大OB)
今晩は、師橋です。
針の木に行ってきましたが・・・

【日時】 2005年5月21日
【場所】 北ア針の木雪渓
【メンバー】師橋、三徳(都立大OB)
【ルート】 扇沢(8:00)〜山頂(12:00)〜扇沢(16:00)

早朝八ヶ岳発。7時半に扇沢着。着替えて板を下ろし、テレ靴を履こうとしたら・・・!無い!八ヶ岳の小屋に置いてきてしまった。
たまたま三徳さんがハイキングシューズを持っていたのでそれを借り出発。勿論板などは置いていく。これが思いのほか軽快で、さっさと登れる。山頂直下の雪壁もそのまま登る。下りはグリセード。
かえって新鮮な山行となった。
↑このページの先頭へ
40タイ・チャーン島  *堀
【報告】Koh Chang
チャーン島(Koh Chan)はカンボジア国境近くにある、プーケット島に次いでタイで2番目に大きい島。
チャーンとはタイ人が大切にしている「象」という意味。
ちなみにタイのビールといえばシンハが有名だが、勝又はチャーンという銘柄が大好き。何故かと問うと、アルコール度数が高く、価格は安いからとのこと、、、。
話を戻そう。この象島は地形が険しく交通が不便なため、少し前まで秘境の島と言われていたが、この島を国立公園とし、国が観光化を推奨しはじめている(どこの国でもこの辺は一緒?)。
とはいえ、プーケットやバンコク近郊の有名どころのような大規模な開発はまだ行われていないため、ファラン(白人)のリゾート地という感は少なく、いわゆるリゾートの苦手な我々にとって、ぴったりの環境?。タイに住んでいなかったら絶対に訪れることはなかったであろう、こんな島でバンコクの喧騒と時を忘れることができてしまった。この我々が、である。
今回の旅ではこのことが一番の発見だった。

日程:4/30〜5/2(2泊3日)

4/30 移動日 バンコク〜チャーン島Hat Kaibae(カイベービーチ)
・バスの予約、宿の予約など全くなし。行き当たりばったりの旅の始まり。
予約をしていなかったので、朝一番のバスは満席で乗れず。
・2時間後のバスに乗り、約5時間でフェーリーの港。
タイは鉄道が発達していないため、庶民はもっぱら長距離バスを利用。
各地に向け、たくさんのバスが走っている。(今回は片道600円/1人。)
・フェリーでチャーン島に渡り、行き先の確認もせずに満員のソンテウに飛び乗る。
堀は座席に座れず、他のタイ人に混ざって車外にぶら下がる。
・事前に目をつけていたコテージが翁山の山小屋よりボロい。
仕方なく、他を探すが、何処も満員。うっ!まずい、甘く考えすぎていた。
・困ったときはソンテウの運転手お姉さまに相談、、、
「テントなら泊れるよ。」「よし、それだ!!」
まさかこんなところでテントで泊ることになるとは。
・しかし、このテントが意外と良かった。夜はジャングルから吹いてくる涼しい風。
誰よりも海に近い場所で、久しぶりにクーラーなしの夜を過ごした。

5/1カイベービーチ周辺にて、シーカヤック&シュノーケリング。
・周辺の小島を巡るシュノーケリングツアーも魅力的だったが、自分たちのペースでのんびりしたい。
シーカヤックを借りて少し沖に浮かぶ小島の周辺でシュノーケリングを楽しむことにする。
・堀は初のカヤック。勝又は初のシュノーケリング。小島へは約30分で到着。
小さな島を一周し、珊瑚が豊富な浅瀬でシュノーケリング。
ひとりが海の中の世界に夢中になっている間、ひとりは南国ならではの痛いくらいの日差しを受けながらカヤックを操る。
・気づくと本島とこの小島の間を人が歩いている。引き潮で島と島の間が白砂で繋がっていた。
・一日、カヤック&シュノーケリングを楽しんだ後、本島に戻る。
小さなコテージに空きが出ていたので荷物を移動し、潮が満ち始めた砂浜を夕日が沈むまで散歩。
・海辺の素敵な屋外レストランでまだ赤い空を眺めながら、シーフード系タイ料理でお腹を満たし、小さなベランダのある素敵なコテージに戻る。
エアコンがないので窓は全開。蚊帳の中、日に焼け過ぎて火照った体にジャングルから吹いてくる涼しい風が気持ちいい。

5/2カイベービーチにてシュノーケリング〜帰京
・帰りのバスの時間があるので、午前中、目の前のビーチでシュノーケリングをすることに。
・ビーチといっても半分はリーフなので、浅瀬に魚がたくさんいる。
しばらく、浅瀬を泳ぎまわっていたら、南国色の魚の大群を発見。
・魚の大群に向かって少し勢いをつけた後、動きを止め海の浮遊物と化す。
この方法だと魚の群れが散らないので、しばし、魚たちと戯れる。
・こうしていると、あっという間に時が過ぎてしまう。
レストランで昼食後、通りに出てちょうど良くソンテウを待っていたタイ人オカマグループに合流。
バスを待っている間におやつの「ンゴ」(おいしい南国フルーツ)を仕入れ、行きと逆ルートで帰京した。
・帰りのバスは5時間、ノンストップ。シーカヤックでのダメージと併せ、堀のお尻の皮がむけた。(その後、数日、座るたびに痛かった。)
↑このページの先頭へ
41コンプレッションテスト  *田宮
田宮です。勝又、倉本がR&Bから学んできた雪崩のコンプレッションテストを続けてきました。
この機会に、このテストの学術的?説明を調べました。日本雪崩ネットワークでまとめられています。

これまでの場合、全斜面で基本的にModerateだった。
ただ、手首の強さと肘の強さに多少の個人差があり、僕が湯丸山でやったときは手首の10回目で断裂したが、長谷部に強すぎないかと、指摘された。

滑り出したら、止まってやるのは無理だけど、これからもやりましょう。
またやらないなら、メンバー全員で「はしょる」合意をしてから滑ろう。尾瀬では初日は「はしょり」ました。


観察と記録のガイドライン・抜粋
http://www.nadare.gr.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=6&forum=1
コンプレッションテスト(Compression Test)
四角柱(幅30cm×奥行30cm)を作り、ショベルのブレードを叩くことで、弱層を確認します。
叩く際は各部の重みで叩くようにし、過度な力は加えないようにします。
各回10回ずつ叩き、それを積算した数字をデータコードと共に記録します。

CTV 四角柱を切り出している最中に剪断する(Very easy)
CTE 手首を使い手のひらで叩くと剪断する(Easy)
CTM 肘から先を使い、こぶしで叩くと剪断する(Moderate)
CTH 腕全体を使い、こぶしで叩くと剪断する(Hard)
CTN 上記手段によっても剪断が起こらない(No Failure)

日本雪崩ネットワーク
http://www.nadare.gr.jp/

↑このページの先頭へ / 閉じる / ホーム